摂心坐禅とは
12月に正源寺で「摂心坐禅」に参加しました。「摂心(せっしん)」とは、心を一つに集中させ、修行に専念する特別な期間を指します。この中でも「臘八摂心(ろうはちせっしん)」は特に厳しい修行期間です。この期間中、参加者は日常生活から離れ、寺院や禅道場での修行に心を尽くします。
日常生活での心の迷い
日常の中では、こんな心の反応に惑わされることがよくあります:
- 自分の価値観や正しい・間違いの判断
- 他人に認められたいという承認欲求
- 不安や他人との比較
こうした心の動きに翻弄されていると、なかなか平静を保つのは難しいものです。しかし、心は空のようなもので、一瞬たりとも同じ状態を保つことはありません。常に変化し続けるものに過去の出来事を重ね、執着するのは無意味なことなのに、ついとらわれてしまいます。きっと心が勝手に反応する妄想なのですね。
坐禅が教えてくれること
坐禅では、心の妄想や忙しさから解放され、今を生きるという根本的なことに気づく機会をいただいています。
- ゆっくりとした呼吸に意識を向ける
- 腰骨から頭にかけての身体感覚や重心の位置を感じる
- 動く際の重心、足にかかる重さ、体のバランス
普段の生活では、心の雑念に気を取られて、こうした「体を支える根本的な感覚」を忘れてしまいがちです。しかし、坐禅はそれを再認識させてくれます。
身体の感覚を無視して、思考をめぐらしてしまうことが多いですが、あえて考えず。感じることからはじめてみよう
呼吸が体を整え、骨が体を支え、重心や足裏の感覚が生きる基本を形作っている——このような「生きるために本当に必要なこと」を思い出させてくれるのが坐禅の大きな魅力です。
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