富士山と桜 父母の眠る故郷へ。 

父の十三回忌と母の一周忌のため 富士市の実家へ帰省しました。

ちょうど桜が満開だったので、ぷらぷらと昔の記憶を頼りにレンタカーでノスタルジー散歩

観光地ではなく、よく家族で買い物後や日曜日に車で出かけた思い出の地の桜。大きな富士山が日常にある生活をしていたことがなぜかとても新鮮でした。

小学校のときの友人の家、スーパー。病院。お店・・。30年ぶりに歩いてみたけど、意外と覚えているもの。

ほとんどが空き家か違う建物か駐車場。

そして、今はアパートとなってしまった母の実家。富士山浅間神社の目の前の酒屋でした。昔は造り酒屋だった記憶。

この神田川でよく水遊びしました。

18歳で進学で上京してから、会社の転勤で川崎、三島、そして24年前にとうとう泣きながら?利根川を越えてしまい、そのまま茨城県民となって24年。人生で一番長く住んだのはこの取手市です。

そのまま実家の富士に帰ることなく どたばたと時が過ぎ、気が付けば50代

今更ながら、生まれた時からこんな素敵な風景が日常にあったんだなと気が付く。

実家の隣は梨農園。なしの花も満開です。

そして、実家の庭のオレンジのバラに無数のつぼみを見つけた40年たっても枯れることなく咲き続けるバラ。

変わりゆくもの。変わらないもの。

父も母もこの家にはいないけれど、ここで過ごした思い出は残る。今までは、決していい思い出ではなかったかもしれません。

母とは20年も心通うことなく、施設に入った10年は、私のことを認識することなく、会話もなく。そのままお別れとなってしまいました。

ただ、この年になったら、そんなこと忘れちゃって、ふわっと+優しさに包まれた想い出だけが都合よく心に残っているのです。

忘れちゃうってある意味いいこと

そう。。想いも感情も 時の流れと解釈で変わるものなのですね。

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