余情と残心 ―― 行政書士として大切にしたい心のかたち

公証役場でのひと仕事を終えた帰り道、私は足をのばして、ふと立ち寄ったお寺へ向かっていました。


雨上がりの夕暮れ、濡れた石畳みの階段は静かで、どこか時間がゆるやかに流れているように感じました。

階段を上りきると、境内の掲示板に目が留まりました。そこには、こう記されていました。

一期一会

何度も目にしてきたこの言葉が、今日はなぜか、胸の奥にすっと染み込んできたのです。

――たった一度きりの出会いを大切にすること。

その意味は知っていたはずなのに、改めて読み返すと、いつも以上に重みを感じました。
忙しさに追われる日々の中で、どこか流れ作業のようになってしまいがちな出会いやご縁。
でも、本当は一つひとつがかけがえのない瞬間なのだと、心に静かに語りかけてくれるようでした。

余情残心

一期一会に続く言葉 ―― 余情と残心があります

「余情(よじょう)」と「残心(ざんしん)」。

どちらも、日本の伝統文化や武道に根ざした美しい言葉です。
そして私は、この二つの言葉に、行政書士としての姿勢の本質が込められているように思うのです。

「余情」とは、あえてすべてを語らず、少しの“余白”を残すこと。
書面や説明をする際、専門家として正確に伝えることはもちろん大切です。
でも、ときには相手の気持ちや状況に応じて、言葉を抑えたり、柔らかな表現にしたりすることで、より深く理解していただけることもあります。

たとえば、高齢の依頼者が不安を抱えて相談に来られたとき。
制度の説明を一方的にするのではなく、その方の思いに耳を傾け、あえて少し「間」を取る。
その“間”に、安心や信頼が生まれることがあります。

一方の「残心」は、行為が終わった後も気を緩めず、敬意と集中を持ち続ける姿勢のこと。
弓道では、矢を放ったあとも動じずに構えを崩さず、そこに美しさが宿るとされます。

これは、書類を作成して「はい終わり」ではなく、提出後の進捗確認、相手方とのやり取り、万一の不備への対応といった“その後”のフォローこそ、行政書士の真価が問われる部分だということと重なります。

法律知識や文書作成力だけでなく、
「この人に頼んでよかった」と思っていただける仕事をしたい。

だからこそ、私はこの「余情」と「残心」の心を、日々の業務のなかに宿していきたいと思うのです。

押しつけないこと。
やりっぱなしにしないこと。
そして、目の前の人の立場に立って、ともに考え抜くこと。

華やかさはないけれど、静かで揺るがない、そんな“心のかたち”を、これからも大切にしていきたいと思います。

そして・・天丼

そうして心が少し整ったところで、ふと現実に引き戻されたのは お腹すいた!!

なぜか天丼で一人うちあげでした

ごちそうさまでした。

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